岡本太郎記念館

🌼みさこさんのお部屋🌼

岡本太郎記念館にて

太郎さんと敏子さんを

感じてきました。

 

 

 

敏子さんは

岡本太郎さんにとって

この世界(地球)で

「人間岡本太郎」として生きていく上で

なくてはならない存在だった方。

 

と、私は理解しています。

 

 

「岡本太郎を知ってほしい

 

このことばには

私たちの知らない

知り得ない

岡本太郎さんの

深い愛を知っている

敏子さん故のおことば。

 

と私は理解しています。

 

 

 

「敏子さんは岡本太郎さんの秘書として

公私ともこの場所で生活をしていた方。

誰よりも太郎さんのファンであり

理解者だったと思う。」

とは、弓指寛治さんのことば。

 

ずっと行方不明になっていた

壁画「明日の神話」の捜索に

尽力したのも敏子さん。

 

太郎さんが亡くなってから

探し求めてたどり着いた

メキシコ。

 

そこに在った

「明日への神話」は巨大で、

日本に持ち帰るためには切断するしかなく、

その際に剥がれ落ちた絵の具を

ひとつひとつ丁寧に採取し

その数8000を超えたそうで、

想像を絶する作業工程です。

 

それでもこのプロジェクトは

携わる多くの人の愛と情熱のもと

そのままのカタチとして

今、日本に存在しています。

 

新宿駅に飾られている

「明日への神話」

 

 

なにげなく目にしているもの。

そこには、

壮大なドラマがありました。

 

そんなドラマの存在を

こうして知ることができたこと

感じることができたことに

感謝と喜びを感じます。

 

敏子さんの深い愛と信念、

太郎さんと敏子さんの情熱とともに

携わって来られた方々の

愛と信念。

 

その思いに心をむけ

思いを馳せる。

 

人間の力とは

なんと偉大なものなのでしょう。

 

プロジェクトリーダーの平野暁臣さん

(岡本太郎記念館館長)は

日本に戻ったらすぐに

青山に向かおうと思っていたそうです。

はやる気持ちで

敏子さんのもとに届けるその瞬間を

待ちわびていたことでしょう。

 

そんな平野さんのもとに

メキシコから日本に戻るその機内で

敏子さんの訃報は届いたそうです。

 

 

 

 

 

お二人の姿をずっとそばで見て来られ、

違う側面からお二人を支えてこられた

平野暁臣さんは

岡本太郎さんと敏子さん

お二人のファンであり、

一番の理解者なのだと

私は理解しています。

 

平野さんの著書から

「岡本太郎さん」と「敏子さん」を

沢山教えていただいています。

 

もちろん私の理解は

浅いものですが

それでも

何かを感じている。

 

それが今の私です。

 

 

心より感謝して。